インタビュー

宮本文昭さん(オーボエ講師・指揮)

東京音楽大学客員教授
写真:野口博(FLOWERS).

宮本文昭さんインタビュー【Part 2】

小澤さんが音楽を創るうえで、塾生たちに最も求めていることはどんなことなんでしょうか?

 

一番大きいことは、どの音を出すのでも、どんな目立たないところでも“ただ音を出す”というのは要求されないですね。メロディーでもない、例えば伴奏の一部みたいなときでも、必ず方向性があって、雰囲気のある音があるっていうことです。でもね、日本のプロの人でも「ここはメロディーじゃないし、小さい音って書いてあるだけ」って、平気で言っちゃうんですよ。本当は恥ずかしいことだと思うのだけど…。例えば、dolce(甘く/柔らかく)やespressivo(感情をこめて)と書かれていなければ、p(ピアノ)はただの小さい音で良いんでしょうか。それに気づいてもらいたくて、塾では講師たちが一生懸命教えるんです。いろんな種類の音を出せるようにしないといけないからね。
あともう一つは、「アンテナ力」。演奏者は、全体を見る力とパーツを見る力が必要です。指揮者が求める運びをわかってあげるっていうのかな。

 

アンテナ力を磨くと、演奏家はどんな力を身に着けられるんでしょうか?

 

多様性というか、平たい言い方をすると技術です。どういう技術を使って対応しなきゃいけないのかは、アンテナで感じ取ってそれを出さなきゃいけないですよね。その時、「これですか?」っていう引き出しがいっぱいあるような演奏家になっていると、室内楽でもソロでも大丈夫です。
例えば弦の人だと、先生に徹底的に教育されちゃう人っているんですよ。言われた通りに寸分違わずやると、大人の演奏に出来上がったりする場合が多いんです。でもそれはアプローチの仕方の一つで、何種類も(アプローチ法を)持っておくと、後々成長したときに「こんな風なのもあるんだよね」って自分の中から引き出すことができる。ほら、引き出しがいっぱいある中国の大きな薬箱みたいな。「これを開けるとあれが出てきます」みたいなやつを持ってる人が最終的には勝ちなんですよ。僕はオケをやってていつもそう思ってた。

例えば、“こういう運びだったら次はこうなる”って想像ができるのは、知識と経験があるからなんです。塾は、その知識と経験がない若い子にそれを積んでもらうためにあります。だから僕は全部教えます。音をスタートさせるときの息の出し方だったり、舌の離し方だったり、ビブラートをどこでどのぐらい乗せるかだったり。
何回か全体で練習した後は、オーボエのパートだけ集めて練習します。「ここはこういう雰囲気を作ってて前がこんな風で来るから、君たちはこうやって始めなきゃいけない」とか、「君たちで終わらないで、次に渡せるようにしないとだめだよ」とか。席順も毎回入れ替えて、色んな人が1番に座るようにしたりします。
僕、英語得意じゃないからなんでいま英語で言うのかわかんないけど(笑)“Be aware”、用意しておきなさい、っていうことなんだと思う。何回か演奏してると、「小澤さんはこんな雰囲気でやりたいんだな」っていうのがわかってきます。それがわかってきたら、そのためにはどうしたらいいのかを教える。

よく「聴けばわかる」って言うでしょう。「弾いてやればわかる」「吹いてやればわかる」って。僕も最初はそう思ってたの。でもね、経験を積んでわかった。やってもわからない人がほとんどなの。例えば隣で吹いても、伝わるのはせいぜい迫力ぐらい。生徒は「迫力もってやらなきゃいけないんだ」って思って、ワーってやるのよ。あるいは、小さい音出しゃいいんだなって思って一生懸命小さい音出しても、(その音が)死んでたらなにもならない。極論を言うと、もし聴いてわかるんだったら、例えば師匠のCDを弟子にずーっと聴かせたら、その子は師匠と同じような演奏をするの?そんなのってあり得ない。その人の耳が育っていればもちろんCDはすごく参考になる。耳にすごく良いアンテナがくっついていれば「なるほどな」と思うでしょう。「横隔膜はこれくらいの位置で、こんな種類のビブラート使ってて、これくらいの圧力のかけ方で息出してんだな」っていうのがわかるかもしれない。こういうのを自分で自分に説明できなくてもスッとわかる人っているのよ。あまり事細かに教えなくても雰囲気だけでわかるタイプね。でも普通の人は雰囲気だけではわからない。だから聴いてわかるようになるためには何回も演奏会でやって、耳のアンテナを育てるんです。

 

塾は耳を育てる場でもあるんですね。

 

例えば「ここはespressivoだよ。いわゆる“感情をいっぱい込めて”っていう意味だね」と言っても、じゃあ一生懸命吹きゃあいいのかっていうと、そうじゃない。もちろん一生懸命吹くんだけど、それだとオーバーブロー(吹きすぎ)になっちゃったりもする。どこがちょうどいいのかわかるようになるためには、やっぱり知識と経験を積まないとわからないよね。他と比べて自分だけ飛び出しちゃってるな、とか。もちろん1番オーボエなんかの場合は、それを率先してやることによって「オーボエがあんなに一生懸命にやってる!」「うちらもやろう!」っていう心理も出てくるんです。そういうのは、若い人は聴いただけではなかなかわからないことです。

塾の後、どこかのオケで演奏するときに「そういえばこういうの習った」「ああいうの習った」「ここではこうやって吹け」って言われたのを試してみる。「でも俺がいま就職してるところじゃ、これはそぐわないな」っていうのもあるかもしれない。そしたら、それに合うやり方を考える。いろんなやり方が乗った広いパレットを持てるようになってもらいたい。そのために、様々なことを塾ではやってみてもらいたい。それが勉強になるんじゃないかと僕は思っています。


2006年 マーラー:交響曲第2番「復活」に向けて、奥志賀高原での合宿中の一枚。

 

塾は通例として、楽器ごとのパート練習を前半にやり、その後オーケストラ全体で合わせたり、オペラの歌手たちと合わせていく練習方法ですね。通常1カ月程度の練習ですが、その間で塾生はどの程度伸びるのでしょうか?

 

その年その年によって傾向はありますが、音がちゃんと並んで、合奏として体をなすのはどんどん早くなっていますね。ただ、気持ちの動きっていうか、感情の動きを出すのは難しい。
今日、いま、ここでしかできない音の出し方っていうか、それの集合体みたいなのが、すごく喜ばしい時間と僕は思っていますが、そういう時間を創り出す名人が小澤さんなんですよ。それは練習の時からそうだし、演奏会ではそれに輪をかけて、もっと喜ばしい時間があったりする。だから生徒たちは自分の楽器を一生懸命練習して、楽器を自由自在に扱えるように一日も早くならなきゃいけない。その扱う方法や対応力を、塾でいっぱい経験してもらいたい。例えばクラリネットがこう吹いたら、自分はそれにつながってこういう風に吹いて、少し変化を与えたりとか、そういうようなことをいっぱい経験してもらいたい。そして、小澤さんが鼻息荒い表情になったときに、さらに熱を加えられるようにしてもらいたい。そういう風になれると一番いいんだよねっていうことを教えるのが塾だと僕は思ってます。

 

講師として塾生の演奏を聴いていて、驚くような瞬間はあるんですか?

 

うん。若い人でもこんなことできるんだ、良いじゃない!って思う場面はいくつもありますよ。例えばその一つを言うと、小澤さんが『子どもと魔法』を振った時(2015年)。オペラの最後のほうで、夢のような音がするところがあるんです。その部分の音楽の創り方が、小澤さんめちゃくちゃに上手で。それがうまくいくとね、本当に鳥肌が立つのよね。そういうときに会場で聴いてる俺たち(講師)は「いまこれ…」って思うんですよ。これはプロでも味わいたい経験です。心の中で「君たち、これは一生の思い出にしとけよ」って思ってる(笑)。こんなのって、プロのオケに入って同じ曲をやってもなかなか味わえないんだよ、って。きっと学生の皆さんも“なんて素晴らしいんだろう”って思ったと思うの。
音の色ってこんなに素晴らしいのかって思う瞬間は、お金では買えないよね。一億円払ったら必ずもらえるかって言ったら、そうじゃない。死ぬ前に、銀行をだましてでも一億円借りて、一回これを味わって死にたいなと思っても、得られるものではない。そういう瞬間に立ち会うと「うわ~~」と思う。こんなにいい瞬間があるから、我々は音楽に関わってるんですよ、って思うね。

 

音楽家として今後その演奏家が育っていくときに、そういうモチベーションがないと続かないですよね。

 

今おっしゃったのはすごく大事なことです。どこの国に限った話ではなく、プロオケのプレーヤーでも、自分を発展させる研究心や探求心、向上心を失ってしまっている人は驚くほどたくさんいます。だって、本番と言うチャンスは一回しかないのに、練習でもゲネプロでも中身を変えず、本番ももちろん変わらない人がいる。でもそういう人に限って「譜面通りにやってるよ?」って思ったりする。僕は、そういう奏者に一人でもなってほしくない。ちょっとでも塾のようなものを体験していると、「音楽家をやっていてよかった!」って思う瞬間があると思うんです。音楽家として自分はずっと成長し続けているんだっていうことが確認できる瞬間があることは、自分のモチベーションになると思うんですよ。

僕も高校生の頃に小澤さんの先生にあたる齋藤秀雄先生に教育されたことを、いまでも鮮明に、一語一句覚えています。僕が個人的に教えてもらったことだけじゃなくて、別のパートに言っていたことも覚えてる。例えば、『死と変容』(R.シュトラウス作曲の交響詩)をやっていた時に東京クヮルテットの磯村和英さん(ヴィオラ)に対して言っていたことも、全部頭の中にある。齋藤先生が「こういう場合はこういう風にするんだよ」「常識的に考えて、だいたいこういうことなんだよ」って言ってたのを、当時は「そっか」と思いながら聞いてたんだけど、それをドイツに行って吹いてみたら「お前そんなことどこで習ったの」って言われてね。「齋藤先生ありがとうございます」って思ったよ。
別の偶然だけど、ベートーヴェンの7番を音楽塾でやった時に、小澤さんが木管の指導に来たの。その時、小澤さんも齋藤先生とまったく同じことを言ったんです。「音を繰り返すときは、増えるか、減るか、どっちかしかないんだよ。おんなじことをずーっと繰り返すのは、まずないと思ったほうがいい」って。この場合の“増えるか減るか”っていうのは、音量が増える・減る、いわゆるクレッシェンドやディミヌエンドで音が大きくなる、小さくなる、というのじゃなくて、テンションが増えるか減るかの話。気持ちがどんどん増えていくか、どんどん萎えていくか、それしかないと思って構わないんだよって小澤さんが言ってるのを、僕は講師として聞いててね。「それ、(齋藤先生から)昔聞いたよ」って思った。俺は齋藤先生の指導を覚えてて、生徒にそれを言ってた。そしたら小澤さんも完全にそれを覚えてて言ってるわけ。
あれだけ小澤さんが齋藤先生って言い続けている理由は、そこに源流があるからです。僕もそれはよくわかる。だから、僕はレッスンの時にも必ず言います。「誰々先生が言って、小澤先生も言ってた。だから僕は君らに言わなきゃいけない責任がある」ってね。その時は聞いてもわからないかもしれないけど、後々それを利用するときに、「習っといてよかった、覚えといてよかった」って思うときが必ずくる。もし利用することがない場合は、たぶんその人はとても悲しい演奏家になっちゃってる。自分の生徒たちにも、彼らが誰かを教えるときは「自分もそれを習って聞いたから」っていうのを必ず言ってあげなさいねって伝えています。だって俺がそうやって育てられて教育されてきたから、他のことは言いたくもないんだ。よく小澤さんは弦のパートに「齋藤先生がさ」って言うんだけど、あの年になってもまだ言ってるっていうのは、教わってきたことにすっげー自信があるからだと思うの。全然怖くないんだろうね。
例えばコンチェルト弾くとか、何か歌うときでもなんでもいいんだけど、「自分がどうしたらいいかわかんないときはこれが使えるんだよね」っていうのがわかってると、とっても良いと思うんだよね。プラスアルファは、もちろん自分で耕せばいいんですよ。どんどん耕して、どんどんプラスにする。前に言ったように、小澤さんが「音を増やして」って言ったところでも、減らしてやってうまくいったら最後はブイ(V)だから(笑)

 

塾で学んだ成果はすぐに出るものなのでしょうか?

 

中にはその片鱗が見える子もいます。でも塾での経験が生きてくるのは、相当な時間が経たないといけないと思います。自分の居場所に慣れて、いろんなことをちゃんと聴けるようにならないと。最初の頃は、自分のことは聴けないんですよ。自分のことをだんだん聴けるようになる年齢が、弦だとちょうど塾を経験する頃ですね。ただ管楽器は自分の吹くのが一生懸命で人のことなんて聴いてる暇ないよっていうのがほとんどです。
年を追うごとに自分を冷静に判断して、周りを冷静に聴くことができて、指揮者を冷静に観察することができて、指揮者が求めているものを求めている瞬間にパッと出して、指揮者がニヤッと笑った瞬間に「良かった、これができるようになった」って思う。その瞬間が、実が成った瞬間だろうと思います。それには相当時間がかかるけど。
たくさんの子が巣立って大きく活躍していますが、それでも聴くと「まだまだ」って思う。それはきっと、講師の欲があるからです。師匠ってそういうものよ(笑)

 

ありがとうございました。

 


合宿中にリードを作る宮本先生の貴重な一枚。

聞き手:須賀綾子(共同通信)
※上記インタビューは、共同通信の取材を基に書き起こしたものです。
編集:小澤征爾音楽塾 広報
2021年1月収録

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