インタビュー

宮本文昭さん(オーボエ講師・指揮)

東京音楽大学客員教授

写真:野口博(FLOWERS)

宮本文昭さん(オーボエ講師・指揮)Part 1

音楽塾が始まったのは2000年です。宮本先生は創立当初から講師として指導に携われていらっしゃいますが、小澤塾長からお声がけされた経緯など、覚えていらっしゃいますか?

 

小澤さんは何かを言い出すとき、改まって話をしたり、会議を開いたりとかはしないんです。たしかキノコ鍋を食べてる時にぽろっと「やっぱりさ、若い人を教育していかないとダメなんだよ。サイトウ・キネン・オーケストラ(以下SKO)のメンバーが集まって、なにかやらなきゃいけないよ」と、塾の話を聞いたような気がします。「とにかく若い人たちはオペラを知らない。オペラとシンフォニーを同時にやりつつ、まずはオペラを軸にしたい。歌手は俺が呼んでくるから」みたいな話を伺った記憶がほのかにあります。

日本で音楽や楽器を習う人たちと、小澤さんがやっているSKOと何が圧倒的に違うかというと、SKOの人たちは、音楽には決まりがあり、それと同時に自由があって、決まりと自由とその行き来の中で色んなことが出来上がっていくというのをわかっていること。音楽には積極性がなきゃいけないし、統率も必要です。
僕がSKOで演奏しているときの例を挙げると、例えば小澤さんが指揮をして、僕にタイミングを教えてくれます。僕は“前もって流れてきた雰囲気はこうだけど、こうしてみよう”と、違う色を意図的に出してザワつかせることをやってました。つまり予定調和ではない、ということです。小澤さんは、僕からそれを誘い出しても「お前、崩してくれ」という表情はされないんです。ですが僕は何年もSKOで演奏していたし、小澤さんも僕が決まりきったことを吹くのが嫌いというのをよくご存じなので、僕がリハーサルでも本番でも「今日はこんな感じで」って吹くと、小澤さんは「あ、そうか」とちょっとニヤっと笑って、「みんな、(宮本の音を)聴くんだよ」っていう意味で、ピンと伸びない人差し指を僕に向けて、オケのみんなに「こいつを聴いとけ」ってあちこちを見るんです。僕は決まりきったことをやるのがイヤなんです。もちろん、古典派をやっているのにロマン派みたいなことをやっちゃいけないというのは常識でわかっていますが、今日と明日で異なるアプローチをしても、小澤さんはいつもと違うなと思ったら指をさしながら「ほら、聴けよ、聴けよ!」とオケに伝えてくれるんです。終わった後に、「お前、あれはないよ」とは言われたことがないもんですから、いい気になって「じゃあ今度は違う風にやってみよう」とか思う。変わってるやつだと思われていると思います(笑)

音楽塾が始まって講師として参加してくれと言われた時に、いま言ったようなことを含めて「僕は予定調和とか、決まりきったことを教えることはできませんよ、いいんですか?」と言ったら、「全然かまわない!」とおっしゃっていただいたので「じゃあ大丈夫だな」と思いました。
お声がけをいただいた時、僕はもう学校で教えていましたが、学校で教えていると意外と「こうあるべき」という教育が多いんです。「これはこういう風に演奏しなければいけない」ということを、例えば楽理や座学の時間で教わるんですね。そればっかりをやっているとつまらないと思うので僕が違うことを言うと「でも先生、これはこういうタイミングでと言われました」と生徒が言うんです。でも、例えばバロック時代の音楽なんて、作曲された当時の音を聴いた人がいるわけではないので、どうやろうと勝手っちゃ勝手なんです。その時代によって、学校で勉強することも変わってきます。僕が学校で勉強していた時は強く言われていたことも、長いこと音楽をやって様々な指揮者やソリストの方と演奏すると、リハのときに「ここは最近の流れでは違う風になりました」って、僕が言われたこととは違うことをおっしゃるんです。「え?!」って思いますよね。「あれは勘違いだったのか」と思うぐらい、ぐるぐる変わるんです。なんだかバカバカしいな、って思う。だから僕は、そういうことなしに教育をしたいなと思っています。

 

音楽塾は音楽監督として小澤さんがいらっしゃいますが、各楽器にはそれぞれの講師(主にサイトウ・キネン・オーケストラのメンバー)がつくのも特徴ですね。学校教育との最も大きな違いはなんだと思いますか?

 

小澤さんが弦のパートを指導しているとき、僕は僕でオーボエのパートに指示を出すときがあります。そうすると、小澤さんはその指示を黙って聞いているんです。「ちょっといい加減にして、指揮させて」とは絶対におっしゃらない。そして「いま宮本先生があんなこと言ってるよ、参考にしてね」みたいなことをオケに言う。そうすると、お互いに相談しあって音楽の形を創ることになりますよね。もし試してみたことが良くなければ「これじゃないほうが良いかな」とまた変えてみる。そういうことをしていくのが、音楽塾の気風だと思います。様々な試し方、持って行き方を生徒たちにやらせることによって、自分たちの手段を持ってもらいたいんです。「こうやってごらん」と言われたときに、「私は一つの方法しか吹けません」っていうのは、相当まずいでしょう。いわゆる多様性というか、対応力が大事だというのを教える意味でも、塾はとても大事です。小澤さんほどの経験を積んだ人が、「こうやってみようか」「ああやってみようか」とおっしゃる。「みようか」って言うのは、決して何か厳然と決まったものがあるのではなく、その時の全体の流れとして一番良いものがあり、そうやって音楽は決まっていくという意味です。なにも学問通りにいくものではないんですよ。


2004年『ラ・ボエーム』リハーサル中の一枚。オーボエパートの中に入って指導。

 

小澤さんはどのように指導されるのですか?

 

年長の指揮者の方って、だいたい、キャパシティーが広いんです。受け取るアンテナが広いもんだから、こちらが何か提案すると「あ、それは良いね」と言ってくださる。若くて、完成形が頭の中にカッチリある方だと、最初から型ができているんです。それはそれで構わないしこちらもやってあげるんですが、どうしてもっといろんなことを試さないのかな、と思います。自由な、空白の部分に入っていく勇気、というんですかね。なぜそれを創ろうとしないのか、僕は不思議です。小澤さんは全部それを受け入れて、(演奏者側に)やらせてくれる。だけど、演奏が終わった時にしっちゃかめっちゃかになっているかというと、そんなことはないんです。小澤さんの手の中で遊んだ、いや、遊ばれたっていう感じ。SKOのメンバーの多くがそう言うね。たぶん、とっても大事なところなんだと思う。

一つ例を挙げるとすると、『こうもり』の練習を京都のロームシアターでやってた時のこと(2016年)。この年は小澤さんと村上寿昭さんが指揮を振り分けることになっていて、初めて練習で小澤さんがオーバーチュアを指揮する日だったと思います。景気が良いメロディーがパンと終わって、オーボエのソロが始まるところがあるんです。アウフタクト、いわゆるピックアップからちょっとナヨッとしたメロディーに入るところがあるんですが、小澤さんが振るので、僕はわざと教えていた子に「いつもとは逆のことをやってごらん。音を減らして(ディミヌエンド/小さくして)やってみよう」って言ったんです。最初、小澤さんは「音が増えて(大きくなって)次のところに行くと、音楽の動きや向かっていく方向がわかるので、わざと増やしてくれる?」って、そのオーボエの子に言ったんです。音を大きくすると息をつく点がわかるから、次の頭がわかりやすいんです。でもその子は、僕から言われた「減らすやり方でも次の点がわかる吹き方はあるから、それでやってごらん」というアドバイスで何度も練習していたし、身体にしみ込んじゃっていたから、音を減らして吹いたんです。そしたら小澤さんは、「君、(音を)減らしたいんだね?OK、じゃあ減らすやつでやります。減らすやり方でもタイミングがわかるかどうか、やってみるから」って言って、指揮してくれた。終わった後も何も言われなかったね。減らすのでうまいこといったから、それでいいでしょうって。だって、それが教育の場である塾でしょう。色んな事をやらせてあげたいですよね。(減らすやり方で)うまくいったので、本番まで全部それでやったね。小澤さんは内心、「宮本が言いやがったな」って思ってたと思う。「あいつは、みんなが増やすところをわざと減らしたりとか、それでも出来るんだってところをどうしても見せないと気が済まないやつだから」って思ってたんじゃないかな(笑)

僕が思うに、良い指揮者って頭の中で想定していた運びとは逆の運びが来ても「それだったらこうやってまとめていこう」と自然にできると思うんです。それがすごい指揮者。計画通りじゃないとマズいとは思わないのね。その懐の深さが小澤さんにはあるから、僕らもさんざん試すことができる。それでも最終的には、小澤さんの手の中で転がされてる。結局、“どういう風に(演奏者側に)やられても全体としては俺がまとめてる”っていうのは、どこかで厳然としてあるんだと思う。あれだけ経験があるとね、なにが来られても全部平気で受け入れて、「じゃあ次はこういう風にする」って指揮できるんだと思います。全部頭の中でカタカタカタって、組み立てなおせるんだよね。大半の人が、指揮者は独裁者で、軍隊のような感じなんでしょうって思ってるかもしれないけど、そういう人はたいしたことないやつですね(笑)


2008年『こうもり』リハーサル中のオフショット。小澤塾長と楽しそうに談笑する宮本先生と塾生たち。

 

その場その場での変化を生み出すことができるオーケストラは、演奏者側には理想的なあり方なんですか?

 

かなりハイレベルなことだと思います。最初から決めていくとラクで、間違いがない。だけど、それって楽しいですかね。僕は、計画通りにバチーって運んでいくのを聴いたり、演奏者の顔を見てると「一体なにを楽しんで吹いて/弾いてるのかな」って思っちゃう。

「学校と塾って違う?」と塾生に聞くと、みんな「全く違いました」って言います。ただ、塾は理想的な形の一つであって、塾でのやり方がどこの日本のオーケストラに入っても許されるというのは、ないと思っておいたほうがいい。だけど、(様々な挑戦を)許すような指揮者が来たときに、手も足も出ないっていう子にはならないようにしたい。指揮者が「君が思う通りに吹いてみな」って言ったときに、少なくとも僕の弟子が「自由をやったのに、あのオーボエはつまんないことしか吹けない」とか「さっきと全く同じことしか吹けないな」と一ミリでも思われるのは、僕は嫌なんです。
ただ、僕の実体験でもあるんだけど、学生のうちは決まったこと、決まったアプローチの仕方を習うんですよ。それはとても大事なんです。書かれていることを一ミリもにじまないできっちりできるのは、大切です。ですが、それをやってるとだんだん退屈になってきて、自分が練習したことを一度全部取り払って、完全にぶっ飛んだ演奏をしてみようかな、と思ってしまう。決め決めのことだけで(成長が)止まった人がオーケストラの中に入り、決め決めのことしか演奏できないと、お客さんも「あまりおもしろい演奏じゃない」ってわかるんじゃないかなと僕は思うの。


2008年『こうもり』奥志賀高原での合宿の一枚。

【Part 2に続きます】

聞き手:須賀綾子(共同通信)
※上記インタビューは、共同通信の取材を基に書き起こしたものです。
編集:小澤征爾音楽塾 広報
2021年1月収録

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