【連載④】「小澤征爾音楽塾のオペラができるまで」:歌手リハーサル開始!
WEB連載「小澤征爾音楽塾のオペラができるまで」では、3月15日にロームシアター京都で初日を迎える「コジ・ファン・トゥッテ」の幕が開くまで(そして開いてからも)をレポート。第4回は、2月中旬より始まった歌手陣の音楽稽古の模様から。
宮本 明(音楽ライター )
3月15日(金)に京都で幕を開ける《コジ・ファン・トゥッテ》。リハーサルは2月中旬に、声楽陣の音楽稽古から始まった。
まず最初は、カヴァーキャストの日本人歌手たちの音楽稽古。
カヴァーキャストの基本的な役割は、本公演のキャストに不測の事態があった時のピンチヒッターだが、音楽塾の場合、彼らが出演する公演もあらかじめ組まれているのが特別なところ[3月12日(火)ロームシアター京都/子どものためのオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》]。
高野百合絵(フィオルディリージ)、十合翔子(ドラベッラ)、西山詩苑(フェランド)、市川宥一郎(グリエルモ)、中川郁文(デスピーナ)、井出壮志朗(ドン・アルフォンソ)。オーディションで選ばれた歌手たちはすでにオペラやコンサートで実績のある実力派たちだ。
METで副指揮者を務めるデニス・ジオークが指摘するのは、多くはイタリア語のことで、たんに発音がいいとか悪いとかではなく、言葉のニュアンス、子音の強さや母音とのバランスなど、細かく徹底的に修正していく。正直、門外漢には何が問題なのかさえわからないレベルなのだけれど、わずかな不自然さも見逃さないという感じはじつにプロフェッショナル。ジオークはその後もリハーサルのたびに頻繁にカヴァーキャストのところへやってきて、「なにか質問はないか?」と声をかけていく。誠実であたたかい人物のようだ。
翌週には海外からの歌手勢や演出のデイヴィッド・ニースらが来日。本公演のキャストによるリハーサルが始まった。2月24日(土)には指揮者ディエゴ・マテウスも、ウィーン国立歌劇場へのデビュー公演(ロッシーニ《セビリャの理髪師》)を振り終えてすぐに飛んできた。
この段階は音楽稽古と立ち稽古がミックスして進んでいるような形で、シーンごとに、歌っては戻って演技をつけるという工程を繰り返しながら作っていく。
リハーサルなのでセーブしながら歌っているのだろうけれど、目の前で繰り広げられるオペラ歌手たちの声のエネルギーには圧倒される。
フィオルディリージ とドラベッラの姉妹を歌うのは、若手ながらすでに優れたモーツァルト歌手として評価の高いサマンサ・クラーク(ソプラノ)とリハブ・シャイエブ(ドラベッラ)。すらりとスマートなクラークは、見るからにちょっとクールなお嬢様のフィオルディリージにぴったりだし、シャイエブのいたずらっぽい笑顔も、この物語のちゃっかりした現実的な妹っぽい。でも真価はやっぱり歌。二人の二重唱のハモり方がすごい。ぴったりと寄り添う声は爽快だ。ときに装飾音など自由度のある箇所でわずかにずれたりすることもあるのだが、“妹”が「ごめんなさい!私が合わせるわ」とひとこと。次からは目を合わせ、その言葉どおりの精緻なアンサンブルができあがっていく。お見事。
グリエルモ役のアレッシオ・アルドゥイーニ(バリトン)は、どちらかというと小柄だが、アスリートのように引き締まった体格。声もまさにそんな感じで、輝かしい色気を持ちつつ知的さを感じさせる歌唱。日本語の「キュウケイデス」と「キュウケイデスカ」はどう違うのかと尋ねたりとコミュニケーションもフレンドリーで、日本のファンの人気もどんどん獲得するのではないだろうか。
ドン・アルフォンソのロッド・ギルフリー(バリトン)は6人のキャストの中では最年長のベテランだけあって、シニカルな“黒幕”ドン・アルフォンソを自由に演じる。いかにもアメリカ人らしく、と言っていいのか、ジョークを絶やさない。リハーサルでは、ある場面の自分のフェルマータで、笑いながら長大なカデンツァのアドリブを披露して稽古場を湧かしたりしていたが、本番ではあそこはどうやるのだろう。稽古場で、最近大谷翔平でも話題になった「In-N-Out Burger」のTシャツを着ていた。やっぱりアメリカ人。
そして、デスピーナ役にバルバラ・フリットリ(ソプラノ)が起用されているのは、今回の大きな注目ポイントのひとつだ。1990年代から世界中の劇場で大活躍しているプリマ・ドンナ。豊潤な歌声とこまやかな表現で「ベルカントの女王」「イタリア・オペラの女王」としてオペラ・ファンを魅了してきた。その彼女がデスピーナ!?
デスピーナがこのオペラに欠かせない役どころであり、上演の印象を大きく左右する重要な役であるのはいうまでもないけれど、主役ではない。フリットリが歌うデスピーナを見る日が来るなんて! ただし今回が初役というわけではなく、以前彼女のデスピーナを見た指揮者マテウスが「ぜひ!」とオファーしたのだそう。調べたところ、少なくとも2021年新制作のベルリン国立歌劇場の《コジ・ファン・トゥッテ》(ダニエル・バレンボイム指揮/ヴァンサン・ユゲ演出)でこの役を演じている(2022年にも再演)。小悪魔的な若い小間使いとはひと味異なる、人生経験豊かで老練なベテラン侍女のデスピーナが登場しそうだ。
フリットリが現れると、稽古場の空気がやはりちょっと変わる気がする。でも気難しい歌姫様という様子はなく、稽古の切れ目では自ら動きのアイディアを提案したり、他の歌手たちに話しかけたり、つねに動き回っている感じで目が離せない。ドラベッラのシャイエブに何かをアドバイスをし始めると、すぐにフィオルディリージのクラークも近づいていって真剣に耳を傾けている。次代を担う彼女たちにとっても貴重な体験になっているにちがいない。
なお、フェランド役は当初の発表から変更になり、イタリアの若手テノールピエトロ・アダイーニが急きょ出演する。この記事の取材時点では彼はまだ来日しておらず、糸賀修平が代役を務めていた。自然でまっすぐなベルカント・テノールがじつに気持ちよく響く糸賀。もちろん指揮者も演出家も、代役として扱うような素振りは1ミリもなく、つねに真剣に対峙している。3月に入ってアダイーニが来日すると出番はないのだろうけれど、このまま本番も彼が歌ってくれていいのにと思うぐらいのクォリティだ。
リハーサルは順調。2月中には全シーンの立ち稽古がひととおり終了して、3月からはフェランド役のピエトロ・アダイーニも合流し、ロームシアター京都での舞台稽古に移る。小澤征爾音楽塾公演の場合、ここで約1週間、指揮者はいったん声楽陣と離れて、東京で塾生オーケストラのリハーサルに専従する。その間、デイヴィッド・ニースを中心にした舞台稽古で演出面が詰められていくのだろう。3月の第2週にオーケストラと合流する頃には、登場人物の動きやコンビネーションにもいっそう磨きがかかっているはずだ。
【連載】「小澤征爾音楽塾のオペラができるまで」
イントロダクション
#1
#2 オーディションに挑む若き音楽家たち─音楽塾の“主役”、塾生オーケストラ
#3 小澤征爾音楽塾展2024
#4 歌手リハーサル開始!
#5 塾オケリハーサル初日
#6 塾オケリハーサル 2日目─楽器ごとの分奏
#7 小澤征爾音楽塾合唱団─根本卓也さん(合唱指揮)インタビュー
#8 塾オケリハーサル 3日目─弦楽パートのリハーサル
#9 塾オケリハーサル 5日目─カヴァー・キャストとの初合わせ
#10 小澤征爾音楽塾展2024─小澤征爾塾長のスコア
#11 京都リハーサル初日
#12 バックステージツアー
#13 原田禎夫副塾長のスピーチ
#14「子どものためのオペラ」とメインキャストのリハーサル
#15「子どものためのオペラ」楽器紹介編
#16 ゲネプロ
#17 元塾生・大宮臨太郎さん(NHK交響楽団 第2ヴァイオリン首席奏者/サイトウ・キネン・オーケストラ ヴァイオリン奏者)インタビュー
#18 原田禎夫副塾長インタビュー
#19 カヴァー・キャスト 中川郁文さん(ソプラノ)&井出壮志朗さん(バリトン)インタビュー
#20 本番
#21 首席指揮者 ディエゴ・マテウス インタビュー
#22 番外編
#23 取材を終えて